運華(うんが)

…運華とは…運命と人生の華。<br>霊気あふれる古都、京都にて活動中のスピリチュアルカウンセラー・天弘(てんこう)が日々の思索、雑感などを思うままに書きつづります。「生かしていただいてありがとうございます」::私のスピリチュアルセッションが、人生の羅針盤となっていただければ幸いです。

自信

posted : 2012-05-18(00:13)

“自信”とは等身大の自分を認めることだ
“自信を持て!”、“頑張ればできる!”、
“夢は大きく持て!”…、言っていることはわかります。
でも、どう目標を持って、どう自信をもてばいいか、
どう頑張ればいいか、それがわからない。
自信…自分を信じる? 
どうすれば信じたことになるのか? 
それに自分を信じたって何も物事はかわらないじゃないか!
…と、何かが不足しているような、
頑張っているはずなのに何も成果が得られないような焦燥感。
現実がうまくいっていなくて夢のことなど考える余裕がないのに、
他人事のように夢を語る人間に無責任さを感じ反発する。
“何かに守られている”という“安心感”があれば、
失敗を恐れず自由にやってみたいことにチャレンジできますが、
大人になると甘えは許されなくなり、
当然認められないことの方が多く、
良い点など誰も見てくれないのです。
それなのに「自信を持て!」「頑張れ!」などと言われると、
応援ではなく“追い討ち”にすら聞こえるのです。
期待に応えたい、でも出来ないから悩んでいる…
「良い結果を出さねばならない」と条件に縛られ、
逆に何もできなくなる。
「自分には決定的に何かが足りていないから、
社会でうまくやっていくことができないんだ」と、
何もかも空回りしてまた自信をうしなう…。
そんなとき、どうするか?
確かに、人は向上心や意欲によって成長していると考えられています。
でも、本当はそれだけではありません。
それがこの言葉、「焦らず等身大の自分を認めてあげる」ことだと思います。
今自分の持っているもの、出来ている事、
周囲の評価は低くても自分は正しいことをしたんだという“自己評価”をすることも、成長することになるのです。それは、自信があるから何か行動ができるのではなく、
行動していく過程で“自分自身に自信を与えていくこと”ではないでしょうか?
やりたいことが見つからない…、焦って探さなくとも、
自分に向き合うチャンスだと、
何故やりたいことが見つからないと思っているのか積極的に考えてみる。
何かをして結果として失敗だった…、
でも、挑戦した自分、学んだ自分を認めてあげること。
こんなにも自分は弱くて情けなかったんだ、
意地悪で卑屈で醜い心を持っていたんだ…。
追い込まれて、自信がないときにそれを認めてしまうことは
自分の存在自体を否定してしまいかねないほど恐いことです。
でもそこに、「できないことが当り前、“だからこそ”自分は挑戦することができる」
と自信が無い自分を受け入れてしまうと、
不思議なほど“自信”がつきます。
コップに半分水が入っていたとして、「まだ半分もある」と思うか、
「もう半分しかない」と思うかは、
“自信”がある・ないのではなく、
恐くとも、良い悪い全部ひっくるめて“自分を知ろう”とするかどうかで決まるようです。


すべてに感謝していれば、やがては感謝すべきことしか起きなくなる。
宇宙はあらゆるものをつかって私たちに語りかけてきます。
それは、人・絵・歌かもしれません。
私たちは、ただそれに耳を傾ければいいのです。
今日もあなたの魂が最高に輝き、素晴らしい一日になることを心からお祈りしております。

☆☆今日の一息にこの曲を☆.

Jupiter /平原綾香


帰る場所

posted : 2012-05-16(00:01)

夢とは、行く場所ではなく「帰る場所」
“Dreams come true.” 夢は行くべき場所なのか、来るべき場所なのか?
“Go”と”Come”…英文法についてはさておき、
僕達が「夢」とか「目標」としているものは、
何故にそれを自ら設定したのでしょうか?
小さい頃から好きなことでそれを追求したいからか、
周囲の人が期待してくれてそれに応えたいからか、
他の事がいいけど何となくそうした方が都合がいいからか…。
何かに憧れたり羨んだりするのは、
“可能性”というものが自分の中にあるからだといいます。
だとすれば“可能性”というものは、
自分にとっての資質であり感情そのままの“心の衝動”として、
生きるために必要な「本能」と解釈することもできます。
本能は理性を除外した野性的な自己生存維持装置で、
その「本能」が“やるんだ!!”と自分に訴えてくるとき、
「夢」「目標」「願望」…となって具体的な行動を促し、
そこへ自分を向かわせようとする…。
だからといって、それがうまくいくとは限りません。 
本能は運命とは違うからです。
ただまっすぐに強く生きたいと努力する…
でも行き止まりでそれ以上進めなかったり、
十字路やスクランブル交差点でどこに向かえばいいかわからなくなったり、
曲がりくねった道で目的地が見えなくなったり…
僕達は道に迷った子犬のように、
ウロウロと辺りを見回しながら“道”を探さないといけない。
ここでテーゼ、前に進むことだけが人生の目標であるならば、悩み迷うことはない。
もし僕達に“帰るべき場所”がなければ、
行き着いた先が自分の“夢”としてあればいいわけで、
とりわけ先に設定する必要なんかない。
“行き先”がなくてもダラダラと歩くことはできるから、
その「本能」を無視してしまったとしても生きることはできる。
でもそうじゃないから停滞し、振り返りながら“自分の道”を探そうとする。 
自分の進むべき道(=未知)は何本でもあるかのように見えるけど、どの道を選んだとしても
最終的に向かうのは、自分の本能が望んだ“場所”になるはずなのです。
そこは温かいスープの用意された“自分の家”であるかのように待っててくれる。
涙を堪えた笑顔で、震えるその声で母親に手を振って見送られるように、僕達は旅に出る。
家出少年のように、一度は反発し飛び出て、ジグザグに歩き、まわり道をして寄り道をし、
わざと遠ざかっては長い空白の時間を過ごして、自分がそこへ帰る条件が整うのを待つ。
失くしたものを探す心と、新しいものを見つける心は似ている。
もし生まれることが「迷子」だとしたら、僕達はいつかは「家」に帰れるだろう。
本当の優しさに触れたのなら、本当に大切なことを思い出すから。
帰りたい、でも帰る場所(夢)がないと思うとき、人は「不幸」と口にする。
夢が見つからないとき、立ち止まって前に進めないとき、
一度自分をとりまく条件を全て外して「帰巣本能」に従ってみる。
すると、何もない場所に自分だけの道を創りあげることができます。
“進んだ道”は「戻ること」はできない、でも“創った道”から「帰ること」ができる。
だから、「行き先」がわからないなら、「どこに帰りたいか?」を想えばいい。
人は生まれてから、自己本能に従い「帰る場所」へ向かって“前に進んで”いる。
僕達は「夢」を掲げる時、“可能性”という誰も知らない“帰り道”を歩いているようです。

すべてに感謝していれば、やがては感謝すべきことしか起きなくなる。
宇宙はあらゆるものをつかって私たちに語りかけてきます。
それは、人・絵・歌かもしれません。
私たちは、ただそれに耳を傾ければいいのです。
今日もあなたの魂が最高に輝き、素晴らしい一日になることを心からお祈りしております。

☆☆今日の一息にこの曲を☆.

Mr.Children / 彩り
<心のまま僕は行くのさ、誰も知ることのない明日へ> ミスターチルドレン

エネルギー

posted : 2012-05-14(19:32)

“怒り”とはエネルギーだ
たった一言がその人を最悪な気持ちにしてしまう時があります。
色々な誤解・偏見・処遇・立場…
自分の心の奥にある柔らかい部分をザクリと無造作にスコップでえぐり取られて、
手で抑えても傷口からドクドクと血がこぼれていってしまうような痛み。
相手をコテンパンにやっつけたらどんなにすっきりするだろう? 
でも自分の嫌悪を誰かにぶつけて解消しようとすれば、
振り上げた拳はやり場のない自分に突き刺さり
傷口をさらに大きくしてしまう…どうして自分ばかりが…。
多分、そんな時の僕は、自分に負けているときなのだ。
わかってもらえない、認めさせたいと言っている
自分が誰のことも一番わかっていない。
どうしてそんなことを言われないといけないのか、
どうしてその一言が人を傷付けることがわからないのか…
その中に自分よりも相手が痛い目に遭えばいいと願っていることに気付かない。
負けている自分の姿を見透かされているような気がして、
そうじゃない!
と言いたいのに完全に否定できない自分がいることに哀しい…
そして負ける言葉は暴力になる。
やがてそのエネルギーは憎しみに変わり、
許せないのは自分になる。そのまま時間が経てば、
風船が萎んでいくように体中から力が失われてしまう。

そんな時大切なことは、“怒り”という形で色々な人や状況から
エネルギーをもらっていると考えてみる。水のように無色透明で変幻自在なエネルギーだと。その性質上、逆に僕達はそのエネルギーをどのように使っても自由…
そのまま受けた相手に返すのも自由、違うカタチにして使うのも自由、
エネルギーであればあらゆる自分の“力”となるのです。
だから僕達は大いに怒らなければならない…
エネルギーを力に変えるために。
何かに噛みつくだけの怒りがそこにあるのなら、
「心を入れ替える」必要なんてない。
一見誠実そうに見えるその言葉の裏にはいつも自分を
誤魔化して違う人格に見せようとする「嘘」があるから。
「心機一転」という言葉があるけれど、その心は“替える”
ものではなくて転じさせて“変える”ことに意味があるのだと思う。
怒りや不満・不安をぐっと“呑み込む”。
 ただそれだけでは終らせない、
自分の内面でそのエネルギーが変化していくのをジっと観察していく。
そのエネルギーが自分にどう使って欲しいのかを聞き出すかのように。
その途中、胃がキリリと痛み、
せり上がってくる震えで全身が硬直してしまうかもしれない。
吐き出せたらどんなに楽だろう? 
そのエネルギーは自分にとっては“毒”が体内に注入されるように危険で、
備蓄すれば身を滅ぼしかねない。
でも、正気を失わず見続ければある地点で違う表情を持ちながら膨らみ、
そしてパァっと弾けて全身にみなぎってくる。
人がそのエネルギーを“自分の力”として放出するとき、
“火事場のクソ力”のように潜在能力をフルに使うことができるようになるのです。
ずっと僕達は「怒ってはいけない」と教育されてきた。
その結果、表面的な争いは無くなった。
でも、大人げないと何事にも我慢して、
ニコニコと良い顔を見せることだけに努力させると、
陰湿なイジメなど内面的な闇が増えて、
今度は生きる力自体が失われてしまうと思うのです。
それはハサミの使い方を危ないという理由で教えないのと同じ。
大量に虐殺された象の子孫は牙を長く成長させないように学ぶ、殺されないために。
もし怒りが「やる気」に変換されるのならば、
僕達は可能性を掴む力を信じるようになる。
エネルギーはいつでもはけ口を探しているのです。
だから僕達は“しかるべき蛇口”を開いて出してあげればいい。
「怒る」ことは力に変わる。
「優しさ」とはそれを抑えるのではなく活かすことを学ぶことなのだと思います。
「優」とは「人」が「憂う」と書く
魂が「危機」に陥る時こそ、「創発」は起こる


すべてに感謝していれば、やがては感謝すべきことしか起きなくなる。
宇宙はあらゆるものをつかって私たちに語りかけてきます。
それは、人・絵・歌かもしれません。
私たちは、ただそれに耳を傾ければいいのです。
今日もあなたの魂が最高に輝き、素晴らしい一日になることを心からお祈りしております。

☆☆今日の一息にこの曲を☆.

Mr.Children / Tomorrow Never Knows


自由に

posted : 2012-05-13(00:15)

自由になれば、そこから何かが見つかるんだ
赤ちゃんが生まれて「オギャー」と泣く。
これは嬉しいからですか?
悲しいからですか?
無防備な生命が、ただ力強く外に向かってエネルギーがふき出す瞬間に、
永遠ともいえる世界が広がります。 
この先に面倒や困難ばかりがあるのに、
ただ、それだけで親は幸福を味わうことが
できる…ただ泣くだけの存在なのに思わず
「ありがとう」と言いたくなるのは何故でしょう?
僕達はそんな瞬間をいつしか忘れて、
何をすれば幸福になるのか?と“手段”ばかりに終始し、
かんじんな意志や情熱を無視してしまいがちです。
何かすごいことをしなきゃ、
また逆に良い結果でなければそれを行う理由がない…と考えれば、
余計に何もできないようになってしまいます。
我慢するための大前提「与えられないものを創造する力=夢」
という部分が欠如してしまっているのです。
何かを創造していかなくても、
努力しなくてもお金さえあれば便利なものがすぐ手に入る時代。
意志(夢)でなく、いかに稼ぐか?
という理屈(手段)を先にもってくるから何もかもが冷めてくる。
それは本を読むことは大事だからと、
興味がわかないうちに百科事典を読まされる子供と同じ。
「興味を持つ」「努力し何かを手に入れる」
という根本を大人が子供から取り上げてしまっている現実がある。
やりたいことのためにやりたくないことを我慢するならわかりますが、
やりたいという意志もないのに、ただ我慢するための我慢のように、
意志と手段がごっちゃになってしまっているような気が…
まるでガチョウのように首まで土の中に埋められてただエサを詰め込まれるかのようです。
そして子供が、自分で自分を「~がなければ不幸だ」と条件で縛ることになります。
でも、本当は誰もが最初から条件があって生まれてきたわけじゃない、
何にもないところから始まっているのです。
だから私達が得る知識や経験は、
ただ「知っている」という溜め込むことではなく、
自分なりのアレンジで知識と経験を組み合わせ新しい知識や価値を“創造”するため
にあるのではないでしょうか?
自由とは、自分の意志で全てを決定して生きていくということ
…逆に言えば、意志のない人に自由はないのです。
失敗したっていい、3日坊主でダメになってもいい、ただ「やってやる」と
その瞬間瞬間に情熱を持って全てを賭けてみる
…それが意志であり自由ではないでしょうか?
目の前に見える色や形が誰がどう見ても同じであるということはあり得ません。
一人一人見えているもの感じているものは違う
…それは、その人の望む色や形を、その心が
応えて見せてくれているのではないでしょうか。
だから可能性とは、「知識量」ではなく、
「意欲」の大きさで決定されるべきものだと思います。
僕達は生まれて死ぬまでそれを学び続ける
…そして「オギャー」と「何か」の意味を、幸福を創りだすのです。

すべてに感謝していれば、やがては感謝すべきことしか起きなくなる。
宇宙はあらゆるものをつかって私たちに語りかけてきます。
それは、人・絵・歌かもしれません。
私たちは、ただそれに耳を傾ければいいのです。
今日もあなたの魂が最高に輝き、素晴らしい一日になることを心からお祈りしております。

☆☆今日の一息にこの曲を☆.

Mr.Children/CANDY


無条件

posted : 2012-05-12(00:00)

“壁”とは
自分を押さえ込んでいる“壁”とは、実は自分自身なのです。
もっともっと悪条件のなかで闘ってみること。
絶望の中に生きることこそが、おもしろい。
大切なこととは、閉じた自分の状態になればなるほど、
いつでも開けると考えることです。
未来に待ち受けている“運命”は、
実は“もうひとりの自分”なのです。
だから、あるがままの自分をあるがままに
出していく姿に美しさや強さが見えるのです。
ありのままの自分を見つめるのが恐いから、
センスや教養・地位・財があるという盾を構え、
いつもびくびくしていなくてはならないのです。
逆境や閉塞感、孤独感などに追い詰められたとき、
ありのままの自分を見つめることができるということは、
“強い”ということなのです。
辛いですが、それが一番面白い。
そこに、恐いくらいのエネルギー(やる気)をみなぎらせたとき、
それはそのまま無条件に生きる力となり、
爆発し、その瞬間から見える世界は色、形を変えていくようです。


すべてに感謝していれば、やがては感謝すべきことしか起きなくなる。
宇宙はあらゆるものをつかって私たちに語りかけてきます。
それは、人・絵・歌かもしれません。
私たちは、ただそれに耳を傾ければいいのです。
今日もあなたの魂が最高に輝き、素晴らしい一日になることを心からお祈りしております。

☆☆今日の一息にこの曲を☆.

鬼束ちひろ / 月光


プロフィール

天弘


スピリチュアルカウンセラー
京都:「霊視・霊感」
天弘(てんこう)です。

★宇宙の流れに完璧に乗る方法・・・。
求める「次」がここにある!
あなたと人生、家庭・職場、
日本と世界、
すべてに新しい扉を開く。

◆歩き続けるあなたは、
自由という名の風。
私は、あなたのために
祈りを刻みます。
あなたを照らす
希望という名の光を・・・。
あなたへ、
愛と光と感謝を込めて。

★私は、人は “2つの道”が常にあり、
瞬間瞬間に選び進んでいると考えます。
それは“やりがいはないが、
安全で楽な道”と、
“危険で辛いがやりがいのある道”です。
本当の不幸とは、
自分でその道を選択し
自ら進むことができないことではないでしょうか?

どれだけ暗くて冷たい雨に降られても、
生きてさえいれば
また道を選んで進むことができます。
自分の背負わされた境遇には、
自分が乗り越えるべきチャンス
という道も与えられているのです。

今、あなたが必要としている
メッセージが
きっとここにある。

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